宿敵ヤマネコ・うつし出される夢

 考えて見ると、クロスの物語って、セルジュにとっての明確な「敵」というのは(よほど終盤に至るまで)、実はこのお方ただ一人しか、提示されないんですよね。アカシア龍騎士団については、蛇骨館の時点で既に、利用されているだけなのがバレバレだし(つーか、四天王の動向ぐらい把握しとこーよ、蛇骨様……(笑))。
 けれどヤマネコときたら、その「ただ一人の敵」という大役に恥じないだけの悪事をまあ、次から次へと働いてくれちゃいますからね。キッドにヒドラの毒喰らわすわ、蛇骨を裏切って後ろから刺すわ、セルジュの姿とついでにキッドも盗んでいくわ(←この辺私怨入ってます)……しかも過去には、ルッカの孤児院襲うわセルジュも殺すわ、ひとりでまさに八面六臂の活躍ぶりです。
 けど……なんかこう、憎めないんだよなあ。本気には。本当にひどいことやりまくりなんだけど、どうもその奥に抱えているもの、裏側の複雑な「思い」のようなものが、抑えた描写の向こうに見え隠れしていて……むしろ、非常にせつないキャラクターなんだろうなと。すべてを滅ぼす憎しみと、屈折した自尊心と、歪んでしまった憧憬。
 単純に、見てくれがカッコいいというのも、ちょっと心惹かれる一因だったりするんですが。ヤマネコ時でも、ダークセルジュの時も。CMではじめてヤマネコのムービー(古龍の砦の変貌シーンね)を見た時も、「うっわー、カッコいい〜!」と素直に思ったりしましたもん。あの、すっとわずかに目を細めるところね。何とも言えない「威」があって、こりゃアカシア龍騎士団もパレポリも、手玉にとられたのも無理ないかな、と。

 「彼」を作り上げている人格というのは複雑で、まずベースとして、肉体提供者としてのワヅキがいて、そこに「憑依」したフェイトがいる。そこで一度完成させられた「ヤマネコ」という人格が、クロスの物語の途中でセルジュの肉体へと転移し、更に新たなステージへと移行する。
 物語を解き進めていて、一番衝撃だったのが、この「ヤマネコ」という人格、「ダークセルジュ」という人格が、事態の推移のなかで「次第に獲得されて行った人格」である、ということです。フェイトがワヅキをのっとったということに、間違いはないんですが、かと言えワヅキがその瞬間から突然「ヤマネコ」と化した訳ではないのだという。
 「失われた扉 孤立する世界と人と」のアルニ村イベントで、マージが語る14年前の出来事。傷の癒えたセルジュを連れて、死海から戻ってきたワヅキは、別人のように人が変わっていたという……けれどこの時点では、まだワヅキの外見は「人間」だった訳です。内面はセルジュの抱いた「死への恐怖」イメージの投影+フェイトの意思によって、だいぶん喰い荒らされた状態だったにせよ。それが時を経るごとに、オリジナルのワヅキは「ヤマネコ」に飲み込まれ、そして彼の外見までもが、その内面にふさわしい「人ならざる」亜人の姿へと変貌してしまう訳です。
 セルジュについてのトークで指摘した、ひとの「外見」に対する独特の視点が、よく出たエピソードであると思います。外見がその人物を規定するのか、それとも人の外見こそが、内面によって左右されるのか、それともそもそも「外面」にどれだけの意味があるのか、ないのか……。セルジュの肉体を奪った後でさえ、かれの先天属性は、セルジュが持っていた「白」から「黒」へと変化してしまう。盗んだ直後(古龍の砦の三対一バトル)には、確かに「白」だった筈なのに。

 そして、クロノポリスより4年後。完全に「ヤマネコ」と化した彼は、オパーサの浜でセルジュを海に沈めます。
 空白の4年間。セルジュを連れて戻ってきた「人の変わったような」ワヅキは、ほどなくアルニ村を去ったといいます。それからセルジュを殺すまでの間、彼は何処で何をしていたのか。
 ……この、4年間という、長いような短いような、微妙な時間!想像すると、私は慄然とせざるを得ないのです。何となればそれは、ワヅキというひとりの人間が「自分の息子を殺せる程度に発狂するまでかかった時間」に他ならないからです。
 そう、「ヤマネコ」がヤマネコとして成立するということは、ワヅキという、平凡なひとりの父親が発狂する過程なのだということ。ヒョウ鬼に襲われた息子を助けようと、激しい嵐の中を漕ぎ出して行ったその男が、たった4年の時ののちに、今度はその自らの手で、助けた息子の命を奪うという、この上もなく残酷な結末。
 けれどそんな、残酷な結果を生む原因となったのは、実は「凍てついた炎」を介して、自分の父に「死の恐怖」のイメージをぶつけてしまったセルジュ自身でも、あったりするのです。どういう訳か……この父子は、流転する運命の中で、どうしても何度も「殺し合い、消しあう」はめに陥るのです。フェイトの憑依、オパーサの浜の溺死、息子の肉体を盗む父、その父を打ち倒す息子。
 壮絶の一言に尽きます。

 ただし、フェイトに心を奪われたワヅキにも、おそらくはその憑依を受け入れてしまうだけの何かがあったのかな、と想像したりもします。セルジュの恐怖を受けて、ヤマネコ化する前……そもそも「炎」に近づいて不安定になっていたというワヅキ。或いは炎と出会い、それを見つめることで、自分の内なる「なにか」を目覚めさせたワヅキ自身が、自らフェイトに歩み寄ったのではないか。だからこそ幼いセルジュはワヅキに恐怖を覚えて、そこに自分にとっての最大の負のイメージ……「猫」の姿を与えたのではないか。
 この辺りはすべて想像するしかない部分なのですが……ただ、すべての責任をフェイトに転嫁して、「あいつひとりが悪者でした」と言い切れるほど、この物語が単純でないのは確か。

 フェイト自身が何処か矛盾……というか、破綻しているような部分もありますしね。フェイトが、というか、正確には「よりフェイトとしての欲望」を露にして行った人格としての、ダークセルジュがですか。あの人も壊れてる。
 やっぱりあの人は、「人間」になりたかったのだろうなあ。人の神として、保護し続けていた人間たちの姿に、いつしか抱いた憧憬と、憎悪。……そう、ダークセルジュは人の感情の中で、えらく「憎悪」を重要視している。それはたぶん、炎とリンクしたフェイトが獲得した、いちばん始めの「感情」だから。
 フェイトにとって、人を管理し守ることは「仕事」だから、はじめはそこに何の感情も生まれない筈。けれどいつしか気づく。どれほど優れた能力を誇っても、龍を滅ぼし、実質的な世界の支配者となっても、すべての人の運命を管理しても……どうしても乗り越えられない「壁」のあることに。客観的に見て、明らかに人間よりも「優れている」筈の自分が、人に対し抱きつづけねばならない「引け目」のようなもの。生命体ではない自分。結局は与えられた命令に諾々と従っていることしかできない、人工知能の自分。
 ……いや、そんな難しいものですらないのかも知れない。自分にないもの、欲しくても手が届かないものを持っている相手に対する「純粋な」憎悪。そしてそれを願ったときに、本来のフェイトとは遊離したなにかがうまれた。それが、憎悪を核とする新たな「人格」フェイト。
 けれどその裏には、人間=生命に対する、痛いようなせつない憧憬がある。というか、そもそもそれがあったからこそ、憎悪するフェイトが生まれたのかも知れない。愛と憎しみは、カードの表裏のように一体化したものだと……ヤマネコは、セルジュを語っているようで、いつのまにか自分を語っている。

 そうして……ワヅキの肉体を得、動き出したフェイト。最初は炎のリンクを回復する為だったその目的が、ワヅキの「発狂」と歩調を合わせるようにしてズレて行く。或いは当のヤマネコ本人すら、自分で気づいていなかったのかも知れない、自分が「本当に望むもの」を得る為の行動へと、ヤマネコは目的をずらして行く。
 そこには無論、ヤマネコの「土台」とされたワヅキの人格の影響もあるでしょう。作中語られてはいないけど、炎を前に発狂したワヅキの抱えていた「望み」と、フェイトの「望み」は融合して、もう何処からがどちらとわけられないような状態になっていく。そして古龍の砦でセルジュの肉体をも得た後は、更にその混迷の具合を増してゆく。世界を守り管理する役目を担っていたはずの彼が、自ら人を打ち倒し、世界を破滅させようと動き始める。
 ワヅキという人間と、フェイトという人工知能が、ともに発狂して生じたヤマネコが、更に発狂して世界を壊す。

 「わたしは、こんなにもおまえを愛している……だから、時々、おまえをメチャクチャにしてやりたくなるのだよ……!!」

 「調停者」セルジュの肉体が、ダークセルジュにもたらしたもの。……更なる混迷と、憎しみの果てに生じる愛。
 キッドのこころを操りながら、そして彼女に自分を「セルジュ」と呼ばせ、したしく付き従わせながら、彼は何を考えていたのだろうと、ふと思います。
 「急襲!!かなしみの追撃者」で、ダークセルジュはヤマネコと化したセルジュをあざ笑う。立場が変われば、人との関係も変わると。……それは本当に、セルジュに向けて言った言葉なのだろうか。キッドの精神を操ってまで、彼女との関係性を、セルジュとのそれのように維持しようとしていたダークセルジュ。
 或いは「ヤマネコ」であった時代、宿敵と付け狙うキッドの存在を既に、彼は意識していたのかも知れないなあ。本気で、心底からの憎しみを、自分にぶつけて来るキッドの存在は、ヤマネコが「生命体としての自分」を確認するのに、実は必要なものだったのかも知れない。それは、「憎しみ」を感情の中でもっとも純粋だ、と規定するヤマネコらしい方法……確かに機械は憎まないし、人もまた、機械相手に本気で憎しみを抱いたりはしないものだから。

 だから……クロノポリスでのフェイト戦については、実は多少、疑問も残っていたりするのです。あそこはやっぱり、どうにかして、セルジュとキッドのふたりが参入可能な状態で戦えるようにして欲しかった。自分がもっとも憎んだふたりであり、自分をもっとも憎むふたり。彼らにフェイトは殺される「べき」だった、と……それも、フェイトにとってはやさしすぎる結末になってしまうのかも知れないけれど。
 むくわれることのない運命こそ、人に「運命」を強いて来た彼の、結末としてはふさわしいのだろうけど。それに彼自身も拒むでしょう。人間に、人間こそに、余計な同情などされたくないと。


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