ファルガ・海の男の心意気

 ……って、のっけから「ゼノギアス」なキャッチをつけてしまいましたが。いやあ、オットコ前で、大好きですファルガ氏。大人の男の渋さ・カッコよさ、そしてせつなさまでもを、存分に堪能させてくれる快男児。結構、ゲームキャラクターでは、この年代(30代後半〜40代)は「空白の世代」という感じで、思い返して見ても、あんまし印象的なキャラクターがいなかったりするのですが(も少し若いか、ずっと年行ってるかの、どっちかという気が……)、彼はいいっすね。沁みました。
 復讐を誓って蛇骨大佐と対決を目論む、まさに「男の中の男」という感じの、アナザーファルガ。「急襲!!かなしみの追撃者」で、セルジュ(ヤマネコ)らを助けに来るところなんて、ちょっと反則!って感じの、王道ヒーロー的な登場っぷり。こちらのファルガがパーティメンバーになる訳ですが、剣の使い方が独特でカッコいいっす。我流っぽい、型破りな感じで……たまに空いてる左手で、いきなりぶん殴ったりして。あれとかとても好き。
 (もっとも、ファルガに限らず、クロスのバトルモーションは誰のをとってもスゴイですけどね。グレン、ファルガ、スティーナ……剣装備のキャラはたくさんいるけど、みんな「流派」が違うというか、アクションが全く異なるのね。おそれいりました。閑話休題。)
 一方……過去の痛手から、すべてを投げ出して退廃と追憶に生きるホームファルガ。こちらはこちらで、より心うたれるものがあるんだよね……。「惰弱な!」と、車田調で一喝入れたくなるシーンも多々あるんだけどさ(イレーネス相手に、ぐだぐだ愚痴めいた繰言言ってるとことかね)、ああなってしまった過程とか、心理はわかるのよ。
 ホームとアナザー、パラレルワールドの結果が合わせ鏡のように映し出す、ひとりの人間の光と闇と……クロス流の「パラレル」表現が、最も分かりやすいかたちで現れているキャラが、ファルガなのではと思います。

 過去に取り返しのつかないできごとがあった時、人はそれをどうやって乗り越えるか。ホームファルガの生き方は全く未来を否定しており、確かにあれでは、死んでいったゼルベスも浮かばれまい、という状況ではあります。でも、じゃあアナザーファルガの方が「正しい」生き方なのか、というと、決してそうとも言い切れはしないんだよね。
 ゼルベスを死なせてしまったこと、約束を果たせていない……人と亜人の架け橋を築くことに、失敗していることではどちらも同じなのだ、という重い現実。アナザーのファルガは確かに今も、戦い続けてはいる。けれどその戦う「相手」は、いったい何?
 蛇骨大佐という一領主を相手取り、海賊行為で対決しているファルガというのは、実のところゼルベスを奪われたことに対する「復讐戦争」をしているだけであって、元々目指すべきだった彼の「戦い」からは、横道に逸れてしまっている印象を受けるのです。海賊行為で蛇骨の陣営を多少掻き回したところで、エルニドの亜人の状況が好転するとは思えない……むしろ、下手にファルガが「亜人復権」を叫びながら、半端なゲリラ活動を行っていた日には、それを口実に、却って亜人弾圧が強まるかも知れない。やりくちとしては、あんまりうまい方法とは言えないよね。
 実際、本来すべてを「諦めた訳ではない」筈のアナザーファルガも、ゼルベスの死後、スラッシュを人に預けてしまっている訳です。それはやはり、ゼルベスの子供たちと一緒に暮らすことが、当時のファルガにとって、何がしかの「苦さ」を残すものだったから、ではないかと思ったりします。約束を叶えられなかった自分。そして、本来目指すべき「亜人の為」の戦いではなく、仇討ちの為だけに戦いに出ようとしている自分。そんな自分を、ゼルベスは許してくれるだろうか。そもそも復讐などして、ゼルベスは喜ぶのだろうか……「天下無敵斬(←この技名も、ゼルベスの死の直後には虚ろなものに響いただろうなあ)」を封印し、スラッシュを人に託して、海賊として旅立ったアナザーファルガの姿には、やっぱり、船上歓楽街でうなだれているホームファルガの姿がダブって見えるのですよ。ふたりとも、実は同じ壁にぶつかっているのかも知れない。

 黒龍を目覚めさせる過程で起こる、マブーレ復興イベント。アナザーファルガがホームファルガを一喝し、そしてスラッシュのコンサートを挟んで最後、ぽつりと「ヤツが見た夢は、オレが見た夢でもある」という述懐で終わるこのエピソードは、クロスの数々の名イベントの中でも、大好きなもののひとつです。「悪夢」というキーワードを巡る、親子二代の物語。かつてファルガが紡いだ過去を、息子であるスラッシュがなぞって見せるという構図自体も、深いなあ、と思います。
 それでまた、このエピソードから伺える、ファルガとゼルベスの関係性もね、王道っぽくて実はそうではない。こういうパターンの物語って、大概は「傷つき疲れた男性を、母性の塊のような女性が、一方的に癒し助ける」構造になってしまうんですよ。これは私個人の感覚的なものとか、好みの問題もあるのであれですが……何もかもを、男女のどちらかが一方的に与えて、相手の苦悩を受け止めて、包み込んでしまうような関係性というのは、ちょいと抵抗があるのです。
 母性を否定する訳ではないし、そのやさしさと広さで相手を安らがせる、というのは理解できる。ただそれが一方的なものに終始しちゃうとさあ……こりゃ、身勝手だなあと思ったりもするのです。
 ファルガとゼルベスで「おっ!」と思ったのは、歌のイベントの終盤の部分なんです。ふたりで歌った後、星を見上げて、ファルガ(演じるのはスラッシュだけど)が、空に輝くふたつの星の名前を教える。するとゼルベスがそれを受けて、「星に名前があることなんて、知らなかった」と答える。それに更にファルガが反応して「星がこんなに美しいなんて知らなかった」と感動する……この一連の流れの中にね、出会い、ふれあうことによって、互いの世界を広げていくふたりの関係性がほの見えると思うのです。
 どちらかがどちらかに、一方的に尽くすのでも、癒すのでも、引き受けて相手の荷を持ち去ってくれるのでもない。それぞれに違う世界を生きてきたふたりが、「自分の知らない新たな世界」の存在を、お互いの存在そのものによって、初めて知る。それによってふたつの世界が影響しあい、広がっていく……この前提があるからこそ、「それではふたりで、世界に向かって出て行こう」と手を取り合うシーンが、初めて重大な意味を持って来るのかなと。
 ファルガがゼルベスを連れ出した構図のように見えるけど、それ以前に、ファルガを再び世界に立ち向かわせる力を与えたのはゼルベス。そして、外の世界の力を持ち込み、ゼルベスに争いと困難の中に飛び出していく覚悟を与えたのはファルガ。互いを助け、救いあう関係性……ああ、こういうのすごい理想なんですよ。

 このイベントでのゼルベスの「この世界のどこかに争いがあるのに、ここだけが平和なんて……そんなのおかしいもの」という台詞には、ぎくりとさせられましたね。色んなこと考えた。これはそのまんま、我々の生きる現実に跳ね返って来る言葉でもあります。言うまでもなく……何だかんだ言って太平をかこつこの日本。けれど、この世界にはどれほどの痛みかなしみが、今も続いていることか。
 そんなことは、誰でも知ってはいること。でも普段は目をつぶって……自分に、何ができる?現状に胡座をかいたちっぽけな自分の、安穏としたこの生活と、現在、この瞬間にも続いているだろう残酷すぎる現実の痛み。何もできないのかも知れないけど、でもやっぱり……何かしなきゃ始まらないのだと。
 そういう意味では、アナザーファルガの復讐の為の戦いも……座り込んでうなだれているだけよりは、いいのかも知れない。それが「良き結果」に繋がりうるものかどうか、そんなことはわからない。むしろ事態を却って複雑にしているだけなのかも知れないけど、それでも……今、自分にできることをしなかったら、いったい他の誰がそれをするというのだろう。
 結果は誰にも保証できない。我々はただ、自分にできることをするしかないのだろうね。

「ハッハッハ……!!そんなことは分かっている。生きているということがすでに罪なのだということぐらい、な。だがな、つぐなわねばならぬ罪を背負っているからこそ生きのびなければならないのだよ!」

 それは人間の論理、生き延びたい者の身勝手なのかも知れない。けれど……。
 「凍てついた炎」に対面したファルガのこの台詞には、身震いがしました。苦い過去を引き受けて、なおもきっぱりと言ってのける決意の重さ。ファルガというキャラクターを、最も尊敬した瞬間です。自分がこのぐらいの歳になったとき、きっぱりこれだけのことを言い切れるような人間になれているだろうか……そんなことを思っていたりします。


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