ツクヨミ・月に煌めく星の愛

「隠されていた、もう一匹の龍。失われていた、もうひとつの月。ポイントは、天空のふたつの月。月辰五星。夜を支配する、聖なる月神と5つの星。天龍の兄弟神。対となる鬼神。天龍、炎龍、水龍、緑龍、黒龍、土龍そして……月龍……最後の一匹が……」

 物語の終盤、韻文のようなことばでもって、初めて告げられるツクヨミの正体。あまりにも衝撃的すぎるというか、これまでの展開から推理するには、提示されていた情報がちょっと少なくて、単純に意外性の方が先に立ってしまうシーンではありますな。パーティメンバーも、「そうだったのか。」とか言ってる場合じゃないよなあ、実際。もっと驚けよ。
 龍というものは、途中まで「人間」や「亜人」等と並ぶ、「一生物」として描かれている感じなので迷いますが、ホントは「龍神」と「龍人」は別なのね。いち生物or一種族であるのは「龍人」の方であって、「龍神」はもっと観念的な存在――元々は龍人によってつくられた生体マシンなんだけど、星のエネルギーと完全同化する内に、星の自然そのものの「魂」みたいな存在になっている。だからあの六龍神たちの「龍体」そのものには、実はそれほどの意味はないのかもしれない。「7番目の龍」であるツクヨミにしても、それは同じことで……外観が、「人間」の姿をしていることにも、観念的な意味あい(素顔を隠した道化師とか、そもそも「少女」であるとか)があるのみであって、「人型の龍」ということ自体には、別に不都合はないんだろうね。

 いやしかし……ツクヨミほど、プレイしていて印象の変わっていくキャラもいないんじゃないでしょうか。正直、最初に登場した時には、「何だコイツ?」としか思わなかったです。妙になれなれしい感じで、セルジュに近寄って来るけど、真意が全然見えない。「どうせ裏で何か企んでいるタイプだろう」という印象を、まず最初に与えられる。だって、そりゃそうだよねえ、素顔隠してるんだもの。おどけて親しげにされても、それは道化師の「職分」としてやっているんだろう、と思うのは当然のなりゆきじゃないかと。
 ところが、セルジュがヤマネコに変貌してから、唐突にツクヨミの「存在」が饒舌になっていく。「自分」を失い、ひとりきりになってしまったセルジュの側に、ただひとり「戻って来る」旧知の存在。たとえそれが、かつての敵であろうと、味方であろうと、道化師の化粧の下で、本当は何を考えているのだとしても……あの時点のセルジュにとっては、自分自身の存在を保つ為のよすがになるものは、ツクヨミ以外にはたぶん、なかった。
 ツクヨミは一貫して、「あたいは、ヤマネコ様の味方だからね!」と言い切り、セルジュを「ヤマネコ様」として扱っている。でもその本心から、「自分の目の前にいるこの存在は『ヤマネコ』である」と思っている訳ではなさそうだよね。それどころか時折、「セルジュ」という存在に対して、ひそやかな愛着すら示してみせる。アルニ村ホームで、チーボに対して「(セルジュがいるから)だれもおまえのこと、いじめたりできないね」と笑うツクヨミ。チーボを通じて、子供らを庇って頑張るセルジュの姿を見つめているツクヨミ……。
 実はツクヨミの「ヤマネコ様」連発というのも、セルジュに「自分」を保持させる為に、敢えてとられた行動じゃないかと思っています。17年間、毎日呼ばれていた自分の名前とは、違う名前で呼び慣わされる日々。「ヤマネコ様」と呼ばれるたびに、セルジュの中に生じるだろう違和感や反発心。「自分はヤマネコじゃない、セルジュだ」という意識がね……セルジュを最後の地点まで引っ張って来たのではないかと思うし。その意識を「育てた」のは、ずっと側にいたツクヨミなんじゃないのかなあ。
 もちろんこの方法は荒っぽすぎて、場合によっては「うん……ボクは確かに、ヤマネコなのかもしれない」と、セルジュが潰れてしまう可能性もなくはない。実際、「急襲!!かなしみの追撃者」が、そのボーダーラインすれすれのところだった訳です。セルジュにとって一番大切な相手から、「ヤマネコ」としてしか扱ってもらえなかった自分。ダークセルジュからの嘲笑。天下無敵号の舳先でセルジュが思い返す「キッドの記憶」というのもね……あれは単純に思い返している、というよりは、キッドと過ごした日々、つまりはセルジュとして生きた自分の存在そのものを、「過去」に封じ込めてしまいかねない行動な訳です。
 そこでツクヨミがやってくる。ツクヨミが彼に投げかけた言葉の中でも、もっとも激しく厳しい口調で、投げかけられる問いかけ。
 しかもこの時だけ、ツクヨミは一貫して、彼の名前を「セルジュ」と呼びかけている。マルチエンディングを除けば、ツクヨミがヤマネコ化した彼を「セルジュ」と呼んだのは、たぶんこのシーン一箇所だけです。その呼びかけの奥に隠れた、ツクヨミの真情。
 自分を失いかけたセルジュにぶつける言葉。――おまえこそがセルジュなのだと主張するなら、キッドにセルジュである自分を認めてもらいたいのなら、おまえ自身が動かなかったら、誰がやると言うんだ?忘れるな、おまえは自分がセルジュだと宣言して、あのカオスフィールドを脱出したのだろう?……だったら、取り戻せ。セルジュである自分自身を。
 まもなく六龍と戦う時がやってくる。ツクヨミが「龍」と戦うことはできないから、ツクヨミはセルジュの元を離れていく。その直前、最後の最後にはっきりと、言い残して行くんですね。おまえは、セルジュなんだと。

 その最初の印象を、あざやかに裏切る、献身的なツクヨミ。それもまた、彼女の一面に過ぎないのかも知れない。本当はその裏に更に、こちらには見せない(黒い)面を隠し持っていたりするのかも知れない……でもたぶん、そんなことはどうでもいいんだと、最後の時点には思わされてしまうんですよね。実際、最終局面において、ツクヨミが龍の眷属であることが明かされ、ということは、カオスフィールドに堕ちたセルジュを助けてくれたのも、対フェイト戦略の一環に過ぎなかった可能性もある訳です。或いは最後の瞬間まで、ツクヨミはセルジュを(そしてその魂を司るプレイヤーたる私を)騙しおおせたのかも、知れない。
 でも、だからどうだと言うのだ?自分が信じるのは、自分が一番つらい時に、一番厳しい言葉で、背中を叩いてくれたツクヨミの姿なんだから。彼女の「ほんとう」なんて、結局誰にも分からない。他人の心なんて覗けない。自分の存在、自分の心の所在すら、曖昧になってしまうのが、自分を取り巻く現実なのだから……だとしたら、縋るべきものはただ、自分の「信じる」思いだけ。それだけで充分。
 自分にとってのツクヨミは、キツい言葉でヤマネコとなったセルジュを導き、マルチェラと張り合う子供っぽい無邪気さ(ここカワイイシーンだよねえ。会話内容は結構、殺伐としてる気もするが)と、ひそやかな悲しみを内に秘めて笑う強さを併せ持った、愛すべき存在でした。それは彼女の「一部」でしかないとしても、あの時それがそこにあった、そのことは確かなことだから。
 そうしてふと、思う。ツクヨミが道化師のメイクをしていることの、物語中での意味……それは、出会った時にプレイヤーにまず、彼女を警戒させる為ではないか。素顔を隠したこのキャラは、注意しないといけないぞ、何考えてるかわからないから、とね。
 でも実際には、本当には何を考えているのかわからないのは、どのキャラも、どんな人間でも同じこと。素顔を顕していようと、隠していようと。外見が違う、ただそれだけのことで築いた筈の信頼は崩れ去り、故郷からも追い出されて、ヤマネコと化したセルジュはただ一人で、世界に放り出される。彼を踏み潰しにかかる現実の足音の中で、道化師のメイクに素顔を隠したままの彼女だけが、たしかな真情を示す。……最初の印象を打ち砕く、あざやかなどんでん返し。
 移り変わっていく状況の中で、キャラクターどうしの関係性そのものが、変化していく様を描いたこの辺りのドラマは、クロスの複雑な物語の中でも、最も注目されていい部分のひとつだと思います。

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