ラッキーダン・愛を勇気をはこぶ藁

 パーティキャラが多い分、お遊び系キャラ(つーか色モノ)も多種多様に存在する「クロノ・クロス」ですが……ビジュアルやバトルでの固有技こそ、遊んでいる感じながら、彼らの作中エピソードそのものは、案外せつなかったり、ふっと何か考えさせられたりしちゃうものが多いんですよね。ぽろっと吐く台詞に、思わずどきっとさせられるというか。この辺りも、クロスのたまらない味わいのひとつだと思うんですが……「マスコット的存在」が、文字通りの「かわいいだけのマスコット」では終わらない、というね。
 わけてもラッキーダンは、出てくるエピソードにしんみりさせられるキャラクターだと思います。基本的に私は、コイツのビジュアルにそもそも、めろめろで。発売前、雑誌に載った膨大な「登場キャラ紹介」の中で、「おおっ!!」と目が留まったキャラの一人であります。「幸運を運ぶと伝えられる、東洋の縁起の良いお守り」……どこがじゃ!!と、すべてのプレイヤーのツッコミを一心に待っている感じにね、魂もってかれました。真顔でボケているというか。
 そんで実際に、ゲームで仲間にしてみれば、なんかふらふら歩いてるし、止まっていれば片足でゆら〜っと立ってるし。こりゃおかしいわと、ファーストプレイ序盤の基本ラインナップは、セルジュ・キッド・ラッキーダンだった私です。でもこの頃は、「愛と勇気」という台詞にしろ、いきなりの「生き別れの兄さん」も、ある種ギャグ的にしか見てなかったんだよなあ。
 そもそものしゃべりが、一人称「わらし」に、語尾が「〜わら」。固有技では哄笑してるし、何よりあの風貌。アルニ村の漁師(キキの父)のエピソードそのものは、多少こう……パラレルのトリックの代表的なものとして、考えさせられる面はあったものの、ラッキーダンそのものには、あまり真面目なものを感じていなかったというのが、序盤の正直な感想です。
 それが、話の進展につれて、ふっとひっくり返されてしまう。最初にあれっと思ったのが、ホームで「兄」と巡り会ったイベントです。ここで初めて、ラッキーダンが実は、自分が本当は「幸福の人形」ではないことを、ちゃんと認識していることを示唆する発言が、出てくるんですよ。
 それまで私は、ラッキーダン自身は自分が「愛と勇気の使者・幸福を招く」存在なのだと、心底信じているものと思っていたんです。でも、どうやらそうではないらしい……自分の胸に穿たれているのが、憎しみを込めた呪いの釘であることを、ちゃんと彼は知っていた。しかもそれを恥じている……。
 そうしてその「見せなかった苦悩」を、よりはっきりと示して見せたのが、終盤の「レベル7固有エレメント獲得イベント」ですね。こう書くと味気ないな……「ハッピーダン進化イベント」とでもいうべきか。まあとにかく、アルニ村アナザーでの最後のイベントです。
 あれはね……本気で、泣きました。エンディング間近で、涙腺もろくなってたこと別にしても、あのイベントは沁みた。兄との対面でもちらりと見せた彼の本心、自分の存在そのものへの疑問と苦悩が、彼の口からはっきりと吐露される。そして、このイベントの何が痛いって、最初、プレイヤーの私が思っていた「こいつの何処が、縁起の良いお守りなんじゃ」という笑いが――実は、ラッキーダン本人がずうっと、自分自身に突きつけていた疑問だったということですよ。
 自分が「幸運のお守り」なんていうのは嘘っぱちで、本当は憎しみを受け止める為の存在、人の憎しみを体現する為の存在なのだということを、ラッキーダンは知っていた。でもそれを自分で認めてしまうのがつらくて、自分の存在が世界にとって忌むべきものなのかも知れない可能性を、認めることが怖くて――自分自身に呪文をかけた。自分は愛と勇気を運ぶ幸せの人形なんだと、信じ込もうとしていた。
 なんかね……それはたぶん、ラッキーダンにとって本当に、ギリギリの選択だったのだろうし、なのに何も知らない私は、「不幸の藁人形のくせに、幸福を運ぶと言い張る」彼のことを、ちょっと笑ったりしていた。或いはラッキーダン自身も、そうやって彼の「正体」を知る人からは、嘲笑されているかも知れない可能性に、気づいていたのだろうか……それでも、彼は必死に「愛と勇気」を届けようとしてたんだよね。その辺りの心理が、あんまりにも、せつない。
 でも旅の果てに、彼は自分が「しあわせだ」と言い切る。どんなかたちであっても、生まれてきて良かったのだと。そしてこの結論って、実は「クロノ・クロス」究極の解答だと思うのですよ。真エンディングにおける、キッド=サラからのメッセージ。どんな生命も「無駄」などなく、この世に生まれてきたことそのことがたぶん、幸いなのだということば。それがラッキーダンのエピソードでも、きっちりと反映されているような気がします。いや、物語の順序で言うなら、真エンディングでのメッセージを先取りしてるとも言えるかな。
 そうして……ラッキーダンが「不幸の人形」から出発した自分自身の存在を、あるがままに受け止め、なおも生きるよろこびを見出したその時、彼を崇めていた一人の男もまた、自分の人生を見つめなおす。立ち直って、やり直す勇気を持ったキキの父親。きっと今後、彼も彼の家族も、しあわせを取り戻して行くと思うのですよ。だとしたら……ラッキーダンは、崩壊寸前だったあの家族に、ちゃんとしあわせを届けることができた、ということになる。その時彼は本当に「幸運を運ぶ人形」になれるんだろうなと――一度彼を笑い飛ばしてしまったものとして、ちょっぴり悔悟の念を抱きつつも、その成功をおおいに祝いたいと思うのです。


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