岬のうた

「最近、セルジュが少し、変わったと思うの」
 豆の莢を剥きながら、レナがぽつりともらした言葉に、祖母はゆっくりと振り向いた。
「変わった、とな?」
「何処がどうって訳じゃないけど……何となく」
 艶やかな緑色に光る豆を、ぷきん、とボールの中に弾き出しつつ、レナは嘆息をつく。
「普段はいつも通りなんだけどね……時々、ぼうっと海の向こう眺めてたり、話しかけても上の空だったりするし」
「あの子は元々、少しぼうっとしたところがあると思うがね」
 本人が聞いたら気分を害するだろうことを、年の功か、祖母は平気で言ってのけ、くっくと低く笑う。
 だがレナはあくまで真面目な調子で、首を横に振った。
「そういうことじゃないの、わたしには分かるの。セルジュ、変わったわ」
「……変わるものさ、人は」
 うつむいてしまったレナの肩をやさしく叩いて、祖母もふと真面目な表情になる。
「おまえもいつか誰かに言われる日が来るのさ。レナ、あんたは変わった、と。年をとるとはそういうことさ。仕方のないことさね」
「でも……そんなのって、何か悲しいよ」
 新たな莢豆を拾い上げつつ、レナは言い返した。祖母も横から手を伸ばし、慣れた手つきで豆を剥き始める。
「そうとも限らんよ。変わったからこそ、見られる景色もある」
 沈黙が部屋に満ち……波の音が、急に大きく響き出す。
 少し固い莢を、レナは力を込めて折った。……ぱき、と小さな音を立てて、莢が真二つに割れる。中の豆を取り出そうとして、レナは思わず声を上げた。
「ああ……豆まで、潰しちゃった」
「焦るからじゃよ」
 からからと笑う祖母が、レナの手から折れた莢豆を取り上げる。

 広がる海を見つめて、セルジュはいつまでも動かずにいた。
 一日の仕事の合間に、少しでも時間が空くと、ついここを訪れるのが習慣になってしまっている。
 アルニの村からほど近い、風鳴きの岬。その名に違わず、岩場を吹き抜ける風がかすかな響きとなって、空へと広がっている。
――リズムとメロディ。響き合うハーモニィ。
 空は晴れている。海は彼方まできらきらと瞬き、見つめていると目が眩む。それでも目が離せない。

 永遠にも似た一瞬の記憶。
 いや……記憶とも呼べないほど、それは短い、白昼夢のような光景。
 わずかに紡がれ残ったことば……星の塔、フェイト、そして……。

 海鳥が鳴きながら、風に乗って岬をわたって行く。
 水平線の彼方へと飛び去るそれを眺めつつ、セルジュは懐から、一本の笛を取り出した。中が空洞になった固い茎に、幾つかの穴を穿っただけの、ごく簡素な横笛だ。
 唇に当てる。向かい風を気にしつつ、最初の音色を楽器に、吹き込む。
 少しかすれた細い音が、海の響きに溶けて行く。セルジュはゆっくりと音をたどった。
 上がり、下がり、また上がる……たった7つの音からなる、短いメロディ。
 繰り返し繰り返し、セルジュはそのメロディを鳴らし続けた。海が響き、風がとよみ、岬の突端に佇むセルジュの服と髪と、縛り上げたバンダナの裾をゆるがして、空の高みへ通り抜けて行く。
「……なんていう曲?」
 背後で足跡が響き、セルジュは笛を唇から離した。
 ぴたりと音色が途切れて、潮騒が急に耳につく。
 おそるおそる、という感じで、セルジュは振り返った。背後に立つ人物の顔を見つめ……ふうっと息を吐く。
 反応に、レナはぴくりと一瞬眉を動かす。だが――それ以上表情を変えることはなく、むしろおどけた口調になって言ってみせた。
「そんながっかりした顔、しなくても。わたしが来ちゃ、いけなかった?」
 慌てたように、セルジュが首を横に振る。妙に必死に否定する様子が、何だか急におかしくて、レナは笑ってしまった。
 笑い出したレナを不思議そうに見やりつつ、セルジュが岩の上に腰を下ろす。気が抜けたようだった。
 笛は手のなかでもてあそんでいる。吹くのはやめたらしい様子に、レナは促してみる。
「ね、さっきの、なんて曲?つづき、吹いてよ」
「……知らないんだ」
 セルジュは笛に目を落として、自嘲するように笑った。
「題名もわからない。メロディの、つづきも」
「……何なの、それ?」
 問いかけには答えずに、セルジュは笛を懐にしまった。本当にもう、吹くつもりはないらしい。
 レナは海を見つめた。はるかに煌めくあざやかな青。
「セルジュが作った曲なのかと思ったわ」
「どうして?」
 レナの言葉に、セルジュが不思議そうに尋き返す。
「何だかとても似合ってたから。セルジュに、その曲」
「……そうかな」
 セルジュもレナに倣うように、海を見やる。
 波が岬の下の崖に打ち付ける。舞い上がって吹き付ける風が、少し冷たくなって来たようだった。陽が、傾き始めている。
「忘れたくないだけなんだ」
 やがてぼそりと、セルジュがつぶやいた。
「たしかに聴いたものが、だんだん遠ざかって行くんだ。紛れて消えて、消えたら二度と、取り戻せない。だから……こうして、覚えているうちに残しておきたいだけなんだよ」
「さっきの、メロディ?」
 セルジュは服の上から、笛の在りかを押さえている。
 その姿に、レナは自分の内側で、何かがぽっかりと失われていることに、唐突に気づいた。――今、急になくなったのではない。本当は以前からその「何か」は失われていたのだ。けれどそれに気づかずにいた。今の今まで、この瞬間まで。
――本当は気づかなかったのではなく、気づきたくなかったのかも知れないけれど。
 レナは真っすぐ海を見つめ続けていた。もうすぐ陽の色が変わって、この目の前の海全体が、あざやかな緋色に染まるだろう。今日はよく晴れているから、夕焼けもうつくしいに違いない。
「……もう行かなきゃ。母さんが呼んでる頃だわ」
「また抜け出して来たんだろ」
「それはお互い様よ。おばさん、きっと探してるわよ」
 わざと怖い顔をして言ってやったが、セルジュはうん、と頷いただけで、立ち上がろうとしなかった。
 やれやれ、とレナは嘆息をつく。そのまま踵を返して、岬を戻り始める。足元で無数の貝殻の破片が、キシキシと乾いた音を立てた。
「大丈夫よ、セルジュ」
 ……何故そんな言葉が出たのか、自分でも分からない。
 向けた背中に、セルジュの視線が注がれるのを感じる。重いような、あたたかいような……その感触を振り切って、レナは空を仰ぐ。
「いつかセルジュ、言ってたじゃない。オパーサの浜で話したこと、いつになっても、ずっと覚えてるだろうって。思いがあれば絶対、忘れないでいられるわ。大切なことを」
 一気に言い切り、うつむいた。その背中に、セルジュが声をかける。
「ありがとう、レナ」
 やさしい声音……まるでさっきのメロディのような。
 けれどあのメロディそのものは、これまでレナは聴いたことがなかった。そしてセルジュの今の声も同様に……知らない世界を見て来たセルジュの、新しい声だ。
 足早にレナは岬を去った。岩場を駆け降り、村の見える辺りまで来て、ようやく足をゆるめる。
 風が緩んでいる。夕方の凪の時刻が近い。
 岬の方を振り返って眺める、レナは別段泣いてはいない。昔だったらこんな時、きっとめそめそと涙がこぼれたのにと思う。
――こうやって変わって行くのだろう。彼も、そうして自分も。

 ひとり取り残された岬で、セルジュは再び笛を手にもてあそんでいる。
「絶対なんて言い切れるものなんか、この世界にはないんだよ、レナ」
 それでもセルジュは笛を取り上げ、改めて唇に押し当てる。
 凪に近く、ほとんど波立たなくなった海の上へ、メロディが響き渡って行く。はるか先へ、水平線の彼方へ。
 広がるリズムとメロディ、そしてイメージ。
 音色が海を越えて、港町テルミナへ、龍の社ガルドーブへ、眠りに包まれたクロノポリスへ……セルジュがまだ行ったことのない、だがたしかに知っているそれらの街まちへ、遠く遠く届いて行く。

 そう、絶対なんて言い切れるものは、この世には存在しない。
 だから、絶対会えない、とも言い切れないのだ。

 まだ見知らぬ、なつかしいだれかに、いつの日にか届ける為のメロディを今、セルジュは繰り返し吹き続ける。


私、キッド至上主義なのに、何故キッドを全く書かなかったのだ!と自分でびっくり。
レナを仲間にした経験がない状態で書いているので、レナ観多少違うかも。
あと、男性ファンから見れば尚更。……でもこれが、女のプライドってやつだと思うの!と主張しておく。

セルジュしゃべらせていいものか悩んだんですが、小説だとしゃべらないと成立しないんで、そのかわり台詞は最小限に止めました。
口調はどうも「ラジカル・ドリーマーズ」の方に準拠してます。一人称「ボク」の。

エンディングで「自分でも良くわからない」と言いつつも、キーワード的な「記憶」の断片がセルジュに残ってたことが、何となく嬉しかったのでね。
「少なくとも、それはゼロじゃない」ってことだからね、それって……。


BACK