随想的評論〜選び往く人々〜

 思い出すのは、4年前の初夏。

 SFC版『クロノ・トリガー』を、私はプレイしていた。突如現れた歪んだ空間「ゲート」の向こうに、姿を消した少女。追いかける少年、行き着いた先は見知らぬ世界――過去の国。
 冒険に次ぐ冒険、だがその果てに彼らが目にする世界の破滅。
 仲間の少女が叫ぶ。「歴史を変えちゃおうよ!クロノ!」

 主人公の前に提示された二つの選択肢の内、私が選択したのは「でも…」の方だった。
 ――別に臆病だった訳でも、流れに否定的な選択肢を選びたがる天邪鬼だった訳でもない。
 ただ、純粋に思ったのだ。「そんなこと、していいの?」と。

 4年経って、目の前に提示された新たなる「クロノ」――『クロノ・クロス』をプレイした私は、しきりに自分の、ファーストプレイ時の戸惑いと衝撃を思い返していた。
 あの時のためらい…時に介入し、歴史を改編することに対して感じた、そこはかとない後ろめたさ・恐ろしさが、今ここにはっきりとしたかたちを得、「殺された未来」となって、復讐にやって来たのである。

 もちろん4年前の私も、その「おそろしさ」にいつまでもこだわっていた訳ではない。ルッカとマールに即座に叱られ、「正しい選択肢」を選択し直した私は、思う存分に時を超え、その楽しさを味わい尽くした。キッドに宛てた手紙の中で、ルッカ自身が告白しているのと同様に、プレイヤーである私自身も、あの時の選択は間違っていなかったと思う。

 けれど時を溯り、歴史を改編することに付きまとう罪深さ。
 何より、いちどそうやって「加工」されてしまった歴史は、何もなかったころにはもう戻れない。
 トリガーとクロス、綴られたふたつの物語を俯瞰して私が連想するのは、巨大な糸玉である。細い糸を束ねておくと、たまにもつれることがある。最初は二・三本の糸をより分ければ、簡単にもつれは解ける。だがその何処かでつまづくと、もつれは次々広がって、他の糸まで巻き込み、気が付けば糸玉全体がもつれ合い、絡み合ってしまって、もう何処からほどけばいいのか、さっぱり見当がつかない…。
 人が時に介入することによって、別の未来が生まれ、その未来が更に別の未来をもたらす。事象と事象がつながりあい、影響しあい…そしてその果てにあるのは何故かいつも「滅び」の風景だ。回避しても回避しても、どうしてももつれていってしまう運命の糸。

 それでは最初の「選択」が間違っていたのかというと…そうではないと思うのだ。登場人物たちは(そしてプレイヤーたる我々も)それぞれの立場で、どうしても回避できない「選択の時」を迎え、自分の意志と判断に基づいて、自分なりに「最良の」選択を下す。結果がどうあれ――所詮選択の「結果」までは、誰にも保証などできないのだ――そのこと自体、選択を下すという行為自体に、否やがある筈もない。

 たとえば「クロス」の、ヒドラ沼における選択。ヒドラを殺し、沼を殺して、キッドの命を救うか否か。彼女を救うと心に誓ったセルジュは、もう後には引けない。ヒドラを殺さねば、彼女は死ぬのだ。
 だがその「選択」の結果が、後に刃となって降りかかって来る。沼を殺されたドワッフたちは妖精を襲い、人を呪詛しつつ滅びて行く。妖精たちもまた、同胞を殺された恨みをセルジュに向かって投げ付ける。
 けれどそれは――退けない選択だったのだ。セルジュにとって。だからあの時選択したことを、後悔はしない。だが胸に残る苦い後味。ヒドラを斬ったその手ごたえは、セルジュにてのひらにいつまでも残るのだろうか…。
 自分にとっての選択の「意味」。時に人には(そしてきっと、ドワッフたちや妖精たち、龍たちにも)どうしても退くことのできない「選択の時」が訪れる。そうして必死に選び抜いた、いわば自分自身の存在価値がかかるような選択が、周囲に、世界に、どのような結果を引き起こしたとしても――自分はやはり、退けないのだ。ただ引き起こされた結果を受け止めることしかできないのである。

 『クロノ・クロス』をプレイして、これを単純に「自然保護のゲーム」と判断することだけは、厳に退けなければならない。ことはそんな単純な話ではない。
 違うものどうしで傷つけ合い、むやみに貪ることは確かに馬鹿げたことだ。そして人が、あまりにも傷つけ、貪っていることも事実。だが世界の苦悩はもっと根本的なところにある。
 つまりあの日のセルジュの選択のように――どうしても引けない選択があり、そしてそれが何かの「利」や「生命」と相反してしまう時には、どうしたらいいのか?
 選択をせねば良かったのか。「自然」に都合がよいように、逃げれば良かったというのか。実はそれでは、問題は解決などしないのだ。

 マブーレの人魚の娘は、外の世界から来た人間に向かってつぶやく。
「この世界のどこかに争いがあるのに、ここだけが平和だなんて…そんなのおかしいもの」
 世界はつながっている。いつも。切り離して平和をかこつのは、ただ世界への「選択」から逃げていることに他ならないのだ。
 逃げるものはいつか、逃げ出した筈の運命に追いかけられ、いずれは選択を迫られるのだ。ガライを討って隠居に身をやつしたラディウスのように。そして…時の闇の彼方でもうひとりの自分に裁かれる、王女サラのように。

 本当は誰も傷つきたくないし、傷つけられたくない。そんなことは誰だって分かっている。皆が手と手を取り合って生きられたら…なのにいつでも糸はもつれ、そのたびに人は、星は、思い知る。この世界の何と不完全で、未熟なことか。
 不完全な選択と、生じる結果の痛みを抱きながら、それでも少しでも前へと、はるかなる高みへと、至ることを夢見て進みつづけるものたち…ラジカル・ドリーマーズ。
 いつか互いはわかりあえるだろうか。お互いが同じ、ちっぽけで未熟な、不完全な生命どうしであるということに。そしてそのことをわかりあえたら…その時こそ、傷つけ合うことのない生き方ができるだろうか。

 …それが『クロノ・クロス』の「共生」のメッセージではないか。
 少なくとも「自然保護」などというお題目は…そもそも人は、何かを「保護」するに足り得るようなご立派な存在だったろうか?人は本来、運命の神の鎖につながれた羊どもだったというのに。

 そう、人はあまりにも愚かで、身勝手な異端のいきものだ。
 確かにこの星にとって、排除すべき害悪なのかも知れない。龍が――そしてその根源たる星が、そう決意してしまうのも、無理はないのかも知れない。それだけのことを、人は星に成している。
 或いは何も成していない。自然という大きな流れの輪のなかでひとり、何処にも属さず、自分の思うがままに突き進む人間は、自ら星から排除されようと努めているようですらある。滑稽な、異端の猿。

 けれど人を滅ぼし、根だやして、その先にあるのは何か?
 戦いはそれで終わるのか。強いものが弱いものを痛め付け、押しやられた弱いものは、更に弱いものを傷つける…規模は改められるかも知れないが、実は世界の構造は変わらないのだ。
 弱肉強食の、自然界の掟。妖精を殺したドワッフは「人の真似をした」という。本当にそうなのか?人と同じ身勝手さが、彼らのなかにも確かに、あるのだ。
 或いは「人を滅ぼす」行為そのものも。蛮行を止めるに、蛮行をもってする。人を絶やすのに、人より強い力をもつ、龍の力をもって成す。…結局、同じだ。人が他種族に対して成したことを、龍自身が繰り返すだけだ。

 星の塔でキッドが叫ぶ。オレたちは生きている、と。不完全な世界だろうが、意味がなかろうが、今生きているのだと。――そしてその問いに、龍はこたえられない。
 不完全な世界…誰も傷つきたくないのに、そして傷つけたくもないのに。皆、ただ生きたいと、自分らしくありたいと、そう思っているだけなのに、戦いは続く。それが星の悲しみの、本質なのだ。
 その悲しみと憎しみが「凍てついた炎」ラヴォスとつながり、また闇に堕ちたサラの絶望と重なり…星と炎、そして人、すべての呪詛が重なり合って、新たな生命体が誕生する。それが「時を喰らうもの」なのだ。それはもしかしたら、星自身の破壊衝動のあらわれなのかも知れない。不完全のまま悲しみに満ちた世界を救うには、すべてを終わらせるしかないのだと、星は何処かで思っているのかも知れない。
 
 けれど…憎しみと、愛は表裏一体で不可分のものだ。
 龍の憎しみ、星の憎しみの、裏側に見え隠れする愛。それがツクヨミ。そして、クロノクロス。
 凍てついた炎の封印が解かれ、すべての龍が真の力を取り戻し、人に復讐を宣言すると同時に、龍の涙はクロノクロスへと姿を変える。かつて龍と人との――星と人との、友愛の証として贈られた「龍の涙」。それが世界の憎しみをいやす鍵となり、人の子の手へと渡される。
 こんなにまでも…世界ごとすべてを無に帰す覚悟を抱く程の、憎しみと怒りにかられながらも、星はまだ、人を愛してくれるのだろうか。希望をつないでくれるのか。世界に、癒されるチャンスがあると。憎しみ、傷つけあうだけの世界を進化させ、新たな地平に導くことを…。

 それが星の見る夢なのだろう。
 憎しみながら、愛している。世界を、人を、すべての生き物を。他所の星から来たラヴォスでさえ、星は愛し受け止めたのかも知れない。憎しみの、果てに…。
 星の愛――その重みに足り得るいきものに、なれるのだろうか、人は…。

 時の闇の彼方に響く7つの音色が、どうかすべてのひとびとの胸に届くことを。
 解放されたのはサラといういち個人だけではないのだから。すべての人、すべての生き物、ラヴォスも、龍も、星も…想いがひとつに重なって、星の夢が人の夢と溶け合うその時こそ、宇宙は新たな次元へ進化する。
 そこではきっと、もう少しはやさしい気持ちで、いきものは互いを見つめられる筈だ。愛と憎しみはたぶん、星に命のある限り、消えはしないのだろうけれど…すべての悲しみは癒されないのかも知れないけれど、ただ自分が自分であるための選択を成す時に、何かを押しのけることが、ひとつでもなくなりますように。すべてのいきものが互いを思いやり、手を取りあう世界に、一歩でも近づいているように…。

 私はグリッドに入れたクロノクロスを選択する。
 そして…物語は終わっても、人生は続くのだ。

 気づけば年は暮れを迎え、街はふるい聖者の生誕を祝って、無数の光に飾られている。
 星と見まごう、幾千億の光の瞬き。夜を圧するその煌めきは、懸命に闇を払おうとしているようにも見える。未だに人は、闇を恐れて、光で世界を埋め尽くせば、その恐怖が無くなると思っているのかも知れない。
 ちっぽな光で、世界を埋め尽くそうと…或いは人間の文明なんて、本質はそれだけのものなのかも知れない。夜のこわさを忘れるための、明るい光に夢を、託して…。
 だから人にとって灯は、なつかしいのだろうか。それが人の夢の原点だから。

 この星も夢を見ているだろうか。
 夢のなかで針はどちらに振れるだろう…愛と、憎しみと。
 その時わたしたちは見いだせるだろうか。ふたつの心をつなぐ、この世界のクロノクロスを。
 せめてその時、見失うものがひとつでも少なくなるように…いつでも、いつまでも、高みを目指す「ラジカル・ドリーマー」でありたいと、ふと思う。
 無謀すぎる野望なのかも知れないけれど。

1999年12月18日 稿了


BACK