架空的日記(99.5.1〜)

1999年07月23日

 関東地方、梅雨明け宣言!いよいよ本格的な夏であります。
 実際、ここのところの暑さは厳しい!昼間なんて、何にもしたくねえ!という感じ。
 そしてこんな時、敢えてクーラーをつけずに、扇風機1台で堪え忍んでいると、何だか「勝った!」という気がしませんか。
 ↑いや、単にクーラー病体質なもんで、クーラー入れてないだけなんだけどね。

1999年06月26日

 思うところあって、今更「ガンダム」シリーズのビデオなんか見たりしてる昨今なんですが。
 シロウトにはやはり、あの世界の語彙が難しいです。前に「ガンダムW」見た時にも思ったんだけど……何かね、専門用語というか、固有名詞関係を必ずと言っていいほど、聞き間違ってるんです私。
 「W」の時は、ゼクスの「トールギス」を「トールリス」と思ってた。サブタイトルで出て来てびっくり。あと「リーオー」も「DO(ディーオー)だとばかり……「D−00番」とかいう型番のモビルスーツで、通称「DO」とでも言うのかと。これは最終話まで全く疑うことなく、小説版見て初めて知りました。
 今見てる「Z」でも、早速大間違い。「ティターンズ」を「リターンズ」と聞き違いました。「コロニー世代も増えて、宇宙で生きる人間も増えたけど、やっぱり人類のルーツは地球だぜ!地球育ちこそエリートだぜ!だからみんな、地球へ帰還(リターン)しようぜ!」という組織なのだと思いこみまして、ええ……。

 何というか、ただ間違うだけならまだしも、勝手に「オレ的ストーリー」を作り上げて誤解しきってしまう辺りが、ちょっと自分、病んでるなと思った。

1999年06月21日

 6月上旬の佳き日、高校時代一番の友人が嫁に行った。
 友達の結婚式に参列というのは、実は初めての経験だったんだけど、あれは何か、妙なもんですねー。すごい感傷的になる。何故か。不思議なものです。
 いつも「可愛い」感じの彼女が、その日はすごく「綺麗」だったのにも、はっとさせられましたね……。

 しかしちょっとびっくりしたのは、お式は教会式だったんすけど、皆さんごく自然に賛美歌歌えるもんなんですねー。いや、有名な曲だから、私もフレーズ聴けば「ああ!」と言う感じなんですけど。すらっとは出てこないな。単に私が、晴れがましい席に不慣れなせいかも知れませんが。全員一斉に歌い出した時は、びくっとなった。
 ……何にせよ、知識と教養は常に必要だーね。やや反省。

1999年06月07日

 どうも自分が食い意地が張っている人間なせいか、食事に出かけると、周りが気になって仕方ありません。いや、周りの人の食べているものが、じゃなくて、正しくは「周りの人の、食べていないもの」が、すごーく気になる。
 夜とか、特にお酒呑みながらだと、ままある光景なんですけど……おしゃべりしたり何だり、食べること以外に熱中しきってて、食べることを全く忘れている人達って、いません?多少「食べるのがおルス」っていうんなら、わかるんですけど、「全く食べるのを忘れきってる」というのが……何か……。すっげー余計なお世話なんだけど、「それ……食べないんですか?」と質問したくなる。(食べないんならくれ、って言ってるんじゃないよ、念のため)
 何だかねえ、料理人が作ったものを、手もつけずに放っておくというのが、ちょっと許せないのね。食べないんなら、注文するなとか、思っちゃう。熱い料理は熱い内に、冷たい料理は冷たい内に、食べてあげるのが料理に対する「仁義」なんじゃないかなあ。
 こないだ見かけたんだけど、ある中華料理屋で、隣のテーブルに、会社の同僚らしい3人組(男女取り混ぜ)が、老酒なんぞ呑みつつ、談笑してたのね。で、テーブルに春巻の皿が運ばれてきた。ところがこの3人が、揃って全く、春巻に手をつけない。取り皿にとることすらしない。テーブルの真ん中に春巻。どんどん冷めていく春巻。一顧だにされない春巻。まるでそこに何も存在してないかのように、春巻を見ない3人。
 結局、この3人が春巻をそれぞれの皿にとって食べたのは、出されてから20分以上経ってからのことでした。……どう考えても、パリパリだった筈の皮は、しなしなに湿気て、具も冷めてしまっていたことでしょう。ああ浮かばれない春巻。
 ……て言うか、それずっと観察してるなよ自分!とつっこみは一応入れておく。よってツッコミ不可。

1999年05月28日

 「ピカチュウげんきでちゅう」から「ポケモンスナップ」に続く、N64ポケモンソフトのCMシリーズの綿引勝彦さんの姿、涙なしには見られません。「イイ歳してポケモンにハマってしまった大人が、底なし沼に堕ちて行く図」という感じがして……(涙笑)。

1999年05月09日

 ウェブでゲームの攻略を探していると、いわゆるゲームの「裏技」……意図的にゲームのプログラムに何らかのバグ状態を発生させて、利益を得る技に、そりゃもうたくさん出くわしますよね。けど、やはり所詮「バグはバグ」でしかないんだよなあ……と痛感させられる出来事が、先日、この私の身の上にも起こってしまいましたですよ……。
 いやね、GBポケモンのバグ技って、完全に研究し尽くされてて、その理論まで確立されちゃってるものが多いじゃないですか。手順はカンペキにマニュアル化されてて、「絶対安全」と言い切られてて。でもやっぱり、バグはバグに過ぎず、バグである以上、絶対安全ってことはないんだな。
 私がサブロムに使ってる「赤版」での、3周目のプレイの時のこと。「ポケモン」のプレイは通算4周目になるんで、多少普通のプレイに飽き始めてた私は、この時バグ技を色々利用してたんですよ。主に使ったのは「アイテム増殖」系の技。「どうぐ」コマンドの上から13番目と、「ポケモン」コマンドの上から2番目のデータを入れ替えるという、裏技系サイトではおなじみのやつです。(詳しく知りたい人は、自力で探して下さい。あっちゃこっちゃにあります)
 んで、プレイ中は何事もなかったんですよ。データ飛びを覚悟してやってたんですが、別にデータも飛ばないし、図鑑にもおかしなところはない。増殖させた道具も、何事もなく使える。動作のおかしなところも、全くない。「ふーん、こんなもんか」という感じで私は、手持ちポケモン全部に「サイコキネシス」覚えさせたりしつつ、バッヂ8つゲットぐらいのトコまで進めました。けどその頃ちょうど「ピカチュウバージョン」が出たもので、とりあえず私はGBから「赤版」を抜き、「ピカ」に移ったんです。
 それから数カ月が過ぎ……プレイ中の「ピカ」に、ゲンガーとフーディンが欲しくなった私は、ポケモン交換をする為に、久々に赤版をGBに差して、電源を入れました。
「……あれ?」
 異常にはすぐに気づきました。下に向かって歩けない。
 何ということか、十字キーの下↓方向にキーを押しても、キャラが下に向かって歩かない。代わりに何故かメニューウィンドウが開く。
 しばし茫然。それからがちゃがちゃ操作してみましたが、どうしても下入力は機能しない。どうやら下入力が、スタートボタンを押したのと同じ機能になってるらしい。それじゃあ、とスタートボタンを押すと……やっぱりメニューウィンドウが開く。
 メニューを開けるボタンが2つ!わあ便利!!……とか言ってる場合じゃない。
 上・左右入力は生きているように見えたんですが、よくよく操作してみると、右入力がAボタンと同機能化。側に人がいたり、看板があったりすると、延々「話しかけてる」状態となり、その場から逃げられなくなる。
 何があろうと、どこまでも、前にのみ向かって進み続けるゲーム。……何かカッコいいような気がしますが、縦シューじゃないんだから。マサラから出発したとしても、ニビまでしか行けません。というか、ポケモンセンターに入っちゃったらアウトなんですが。出られないんですが。
 結局、そのセーブデータを抹消。まっさらにしてからニューゲームを選ぶと、動作は完全に元に戻りました。
 教訓。バグ技はやっぱり怖いです。リセットできないロムでやるべきじゃないですね。
 しかし、ポケモンのバグ技の障害関係では「図鑑エラー」「殿堂入り記録エラー」「データ飛び」の3つはよく聞くけど、方向キーぶっ壊れたって情報は聞いたことなかったな。レアな現象なんでしょうか。全然嬉しくないけど。

1999年05月01日

 トップにも書いたけど、更新のたびに「ひとりごと」のネタを考える、というのが、正直ちょっと苦痛になってきたもので、いっそ独立コンテンツにしちゃって、完全不定期更新にしてみようと、こんなのつくってみました。
 とりあえずは、タイトルの「架空的日記」という言葉。勿論造語です。
 そのココロは……別に文章の内容が全部「架空=フィクションである」ってことじゃないけどね。
 ただ、「日記」とか「エッセイ」とか呼ばれるタイプの文章が、必ずしも全部「ノンフィクション」である必要もないような気がしたんですよね。つーか、どうせ文章なんてものは、なにがしかの「つくりごと」性が入り交じっちゃうと思うんです。
 というのは、こうやって「日記的な文章」を書きつづっている、ネット上の「私」の人格というものが、どのみち「本当の私」なんかじゃないからです。誰しもそうだと思うんですが、文章化された「自分」というのは、絶対に「現実」のリアルな自分そのものではない。意識は確かに言語によって形成されるものではあるけど、言語意識のみが「ヒト」を規定するものじゃないから。文章メディアの限界ですね。(ヒトは「肉体」の存在によって、自己と他者の識別をはじめるのであって、「世界」と「自己」を分かつのは意識ではなく、肉体であり、他者と異なる「顔」である……とか言うの、学生時代に社会心理学でやったな。)
 まあ要は、どのみち「完全な私」を文章上で、それもネットというこんな頼りない場所で、表現できる訳ないんだよという感覚に、「架空的日記」の名は由来します。「架空」は日記にかかっているんじゃなくて、日記を書いてる私自身にかかっているという訳だね。

 ……んまあ、ごちゃごちゃ書いたけどさ、「日記」と言っても、日々の生活の出来事細かに書いたりなんかはしません。面倒だし。というか、私が今日何をしたとか、何を食べたとか、そういうの他人が読んだって全然おもしろくないでしょ、と言うことで。


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