『ファイナルファンタジーX-II』(プレイステーション2)

(注)これは2004年に出た「FF10-2 インターナショナル版」のレビューではありません(筆者インタ未プレイです)。あくまでオリジナルの10-2を、1年遅れでレビューしてるすっとこ文章です。ご注意ください。

 FFシリーズ初の、完全なる「続編」として制作された本作。「常に新しい」ことを標榜してるFFシリーズとしては、ある意味かなり冒険的な試みですね。このソフトが制作された裏側には、たぶんいろーんなオトナの事情が絡んでいるのだとは思いますが……純粋にいちファンとしては、かなり楽しみにしていたタイトルです。『FF10』の世界とキャラクターたちって、私にとってはすごくツボだったし、彼らのその後について、興味も少なからずあったので。
 別に、「10」のエンディングに不満があった訳では全くないのですが。むしろ、ペーソスをたたえつつも希望を残したあのラストシーンは、個人的にはとても好きです。なのでどっかに、「あのままそっとしといた方が良いんじゃ……」という危惧があったのは否定しません。あれだけきれいに、きちんと完結してるだけに、ヘタうつとものすごいガッカリ感を味あわされる可能性もなきにあらずだなあと。相変わらず、第一報で飛び出してきた「ニューユウナ」のコスチュームはとんでもない!し……。
 でも、発売前にゲーム店でかかっていたプロモーション映像を見て、不安は全部ぶっとんでしまいました! 「キミなの? それとも似てるだけ?」ユウナの手を引いて駆けるティーダ、彼らに向けられる兵士たちの銃口。消えたはずのバハムートとの対峙。「召喚師」という過去の呪縛から解き放たれたように、軽快なガンさばきでバトルするユウナ……。
 ……凄そうじゃん! うわー楽しみ。私は「ティーダはあそこで消えて、どこかに新たに生まれ変わった」派だけど、でも生きて帰って来てくれても全然構わない! というか帰ってくるのかー、あでもまだティーダとは限らないのかー……と、心躍ったものでした。周囲を見回せば、同じプロモート画像を見つめる人々の目も、期待に満ち満ちているようで。
 ノムテツのびっくりデザインも、「FF10」「キングダムハーツ」と、ここんとこイイ意味で最初の印象を裏切られるケースが多かったので、全然気にならなくなりました。ゲーム誌でちらちら、ド派手黒魔道師やら「これ『服』か?」シーフなど目にしつつも、本筋のシナリオにはたいそう期待しておったのです。

 で、発売日がやって来て。私ももちろん入手はしたのですが、プレイする時間がまるでなかった為、とりあえず大切にゲーム棚にしまったまま、忙しく日々を送っておりました。
 けど、忙しくても仕事の間の気分転換に、ネットをちょろちょろ巡回することはおこたらない私です(むしろ怠れよ)。そんでうっかりと目にしてしまったんです、「FF10-2」関連の掲示板書き込みを。
 ………あれ?
 …………なんか、すごい……荒れてる?
 「俺たちのユウナを返せ」とか言われてますがええと。何が起きたんだ……と、疑問を抱いた側から解消される怒涛のような書き込みの山また山。
 なんか「FF10」ファンの間で、大混乱がおきてるよー。うわー!!

 ……という感じで、プレイする前に「ユウナに何が起こったか」おおかたのところは理解してしまったこといでございます。軽率にネット巡回してた自分に反省しつつも、逆にこれで「何があっても動じない」覚悟で、「FF10-2」を遊ぶことができた部分もあったりします。というか、この「覚悟」がなかったら、正直自分がこのソフトをどう評価していたか、あやういものがあるのは事実です。

 結局、実際に自分が遊べたのは『アルティマニア』が出た後になってから。とにかくものすっごい評判をいろいろ聞いていたので、「まあさらっとティーダエンディングでも目指して終わらせるか(←それは「さらっと」か?)」と、軽い気持ちで始めたのですが。
 ……何だよ、面白いじゃないか!!
 期待値がゼロというかマイナスだった反動なのかどうなのか判りませんけど、とりあえず第一印象は「いやこれ、ちゃんと『ユウナ』だよ!」ということでした。確かに外見ははっちゃけてるし、言動も妙に軽い。何かというと「ムカツキ!」とか言ったりして、ノリの明るさが完全に空回りしてる箇所も多少……いやかなり見受けられはしたものの、根っこの部分で、「10-2」のユウナはちゃんと、「10」のあとの世界を生きているユウナでした。少なくとも、私にとっては。
 レベル1エピソードで、各エリアに初めて到達した時に流れるユウナのモノローグ。かつて「彼」と共に歩いたその地の「今」のすがたを、今ここにはいない「彼」に向けて語る、その目線。表面上は変わって、いや、「変わろうと」していて、その実本質は全然「変われていない」彼女の今がちゃんと伺えて、これだけで私は充分に「10-2」遊んで良かったなあ、と思いました。
 最初から、最後までね。流されてばかりの自分をやめて、自分の意志で生きようと思って、けれどなかなか変えられない。そうしよう、と決意したきっかけは、かつて「彼」が残してくれた、さまざまな「思い」そのもの。でも、焦って無理に「違う自分」を模索したところで、うまく行く訳もない……。
 「愛!」なんて、こっぱずかしい、正直浮いてる台詞を臆面もなく言い切っちゃって、でもこれを口にした「思い」のあり方そのものは、以前と変わっていない。そこが一番、プレイしていて安心したところであり、またどこか切なかったところでもあります。

 ただ「こんなんFF10の続編ちゃうわ!」と怒る人々の気持ちも、すごーくよく判る。というか、プロモーション映像とCMは、いくら何でもミスリードしすぎ。ティーダ×ユウナファンの期待煽りすぎ。あれ見たら、ユウナがティーダにたどりつく為の旅が、今回のシナリオの中核だって、誰でも思うじゃない。実際私も、それを一番期待してたし。
 あんな別れ方を「せざるを得なかった」ふたりが、どうやってもう一度出会うのか。それこそが、「10」のファンが最も知りたかった(遊びたかった)物語だろうし、CMは直球でそこへの関心をひきつけるかたちになっている。
 でもそれは実は、ほんとに脇の物語でしかない。「本筋」をコンプリートした人へ与える、単なる「おまけ」。どうやって戻ってこれたのか、説明も何もなしに、ただ何となく条件が揃ったから、何となく復活してしまうティーダ。おいおいこれでいいのかよ、と正直つっこまずにはいられませんでした。再会のシーンそのものがすごく美しく、しあわせで、ユウナの声にひびく明るさに思わず涙してしまうだけにね……釈然としない。
 ある意味、残酷だよなあと思いました。「10」を好きで、「10-2」に期待した人たちの気持ち……『アルティマニア』でどなたかが仰ってましたけど、「かつてティーダであった人たち」の思い入れを、あっさりと無視しきったつくり。そもそも「モロ続編」なんだし、作中時間軸だって、前作から何十年も経ってる訳じゃない。やろうと思えばいくらでも「かつてのティーダ」たちの心をくすぐるしかけを入れられるハズなのに、狙ったようにすべて外してしまう、この肩透かし感たるや……。ファンの購入を期待して制作してるんだったら、ぶっちゃけもっとファンサービスというか、「前作を遊んでくれてありがとう」感みたいなものが、あってもバチは当たらないんじゃないかと思うんですが。
 新作でありたい。新しいことに挑戦したい。そういうクリエイターの気持ちも、わからないでもありません。実際、新機軸のバトルとか、すごくよく出来てたし。ミッションコンプリート型のシナリオ(緩い意味でのフリーシナリオ?)も、面白い試みだったとは思います。
 けどねえ……「かつてティーダであった」、それもクリアするまでの時間、何十時間(人によっては何百時間)もティーダと同化していたファンとしては、やっぱあの「つけたし」扱いにはガックリ感が残りますよ。何よりそのスタンスが……100%コンプの「報償」としてのティーダエンディング、という出方が「おまえら結局、ティーダさえ帰ってくれば嬉しいんだろ? ほらどーぞ」とスタッフから言われてるようでねえ……。
 いや実際、アレがなかったらなかったで、絶対悔しいしガッカリなんですが。それを見るためだけに、頑張って100%まで漕ぎ着けましたよ!というのが、実情だったりするし。思惑通り、まんまと「喜ばされちゃってる」んですけどね。でもね。
 「10」エンディングでのあの状況から、いったいどうやって戻ってきたんだ、とか、あんなあっさり戻れるのなら、何でユウナは何年も探し回らなくちゃならなかったんだとか。「10」から構築されてきた世界観に準じて、真面目に考え始めると、却って妙なドツボにハマッてしまう。所詮「おまけのファンサービス」以外の何ものでもないので、つじつま合わないんだよね。なので細かいことは考えずに、目先の喜びだけ味わうことにしつつも……そもそもの「10」が、「そこに至るまでの感情」を丁寧に描ききった物語であっただけに、「続編」でのこのぞんざい感は何とももったいない。

 ……でもまあ、いいや。ハッピーエンドだし。←私までぞんざいになってどーする。
 他にもね、アニキの言動にまつわる何とも言えない寒い感じとか、冒頭の「ユ・リ・パ」を皮切りに、登場人物たちが盛り上がっていればいるほど、画面のこっちのプレイヤーがなまあたたかい気持ちになってしまうイベントとか、いろいろ問題点も多かった気がするんですが。作り手の皆さんの「若い女性」観に、多大な不安を覚えつつも、大筋ではまあ……「10」のようなしっとりしたムードで、もう一度同じことやってもな、という気持ちはよく判るし。怒るよりは笑うことができたので、個人的には(さほど)気になりませんでした。
 つーか、「ユ・リ・パ」という「頭文字とっただけ」チーム名が、そもそも言葉として全く意味がない辺りが、すべての敗因であるような気が私はしています。アルベド語でなら意味が通るのかと思っちゃったよ最初。つーかどーなのよ「ユリパ」。語呂もいまいち良くないし。何なんだ「ユリパ」。楽しいのか。楽しそうだなあ。

 真面目に少し語るとね。
 ラストでユウナは「これが私の物語」と言う。もちろんこれは「10」での「お前の物語だ!」に呼応する台詞で……実際に「10」は、アーロンが冒頭で予言し、ザナルカンドのイベントで見事に転換を遂げて結実してゆく「ティーダの物語」になっていた。
 でも今回の「10-2」は、ユウナ本人の台詞とは裏腹に、「ユウナの物語」には全くなっていないんだよね。これは「レンとシューインの物語」。或いは「アカギ隊の物語」。
 ユウナは最初から最後まで、あくまでも「傍観者」でしかない。話をつなげ、真実を暴き、最後の始末をつけたのは確かにユウナ。でもそれは全部、(ちょっと表現汚いですが)他人の尻を拭いて回った、それだけのことでしかない。
 ユウナ本人の思いも、立場も、世界観に対するキャラクター意味づけさえも……冒頭からラストまで、何も変わらない。ユウナが「動いて」ないんですよね。ライトすぎる外観と言動から、わずかな「揺らぎ」は感じられるようにも思うけど、モノローグを聞いてしまうと、逆にそれが彼女の本質にとっては、微々たるものでしかないことが判る。
 びっくりするぐらい、前と変わっていない彼女が、変われないまま旅をして、そのまま旅の終わりを迎える。たぶんユウナの本当の「物語」が始まるとしたら、このあと、「10-2」のエピソードが終わったあとのことなんだろうなと。
 「死の螺旋」の閉じた世界で生きてきたユウナが、「永遠のナギ節」を迎えるまでずっと背負わされてきた期待とか、呪縛の重さを考えると、「変わる」為にはたくさんの時間ときっかけが必要なのは判る。変わろうとあがき、変われたと思い込み、そして結局は何も変わっていない自分自身の狭さに気づく。そういうのも、テーマとしては嫌いじゃない。
 それならそれで、変われない「ユウナの物語」を中心軸に据えたシナリオを、ちゃんと作って欲しかったなあと思いました。現状ではこれは、「他の誰かの物語」に対するユウナの「感想文」でしかない。一見すると細かにユウナの心理を描いているようだけど、実はその内容は「他人の物語」に対するユウナの述懐に留まっていて、そこからユウナが何かを掴む訳ではない。
 更に今回のシナリオでは、ユウナはどの局面でも、対処療法的な行動しかとれていない。その対処療法に忙殺されて、「変われないわたし」への内省的な視線はどんどん薄まって行ってしまう。100%コンプの過程で、全部のエピソードを見てようやく、何となくそういう部分が「感じ取れる」程度に留まったまま終わっているのは、とても残念です。

 「永遠のナギ節」……それはある意味、「ハッピーエンド」の、その後の物語。「めでたしめでたし」でおとぎ話は終わるけど、世界があるなら、人々の生活は明日も続いて行く。そこには苦しみもあり、悲しみもあり、そしてもちろん、幸せも喜びも存在する。
 歌声で争いが収まるシュールさよりも、その歌声を「崇拝」している人々の視線が以前と全く変わっていないことは、やるせないものがありました。螺旋はとぎれ、世界はひらけた。けれど人々の呪縛は、まだ解けてはいないんだろうね。変われないのはユウナだけではなく、あそこの人々すべてがそう。本当の意味で未来が築かれるまでには、まだたくさんの時間が必要で……
 1000年の亡霊を解放するシナリオを通じて、作り手側は、ユウナに(そしてプレイヤーにも)過去からの脱却、具体的にはティーダの「呪縛」からの解放を求めたかったんじゃないかなと思います。ユウナが変わりたいと思うのなら、過去の亡霊となったティーダにこだわっていてはいけない。祈り子の夢を終わらせた時点で、「いつか終わる夢」ティーダの物語は終わっている。だからもう、掘り起こすなと。夢は終わったのだから。ユウナたちは夢から解放され……私たちも、ゲームの世界から「目覚めよ」と。

 ……でも、目覚めよと言っておきながら、私たちを再びスピラに招き入れた。招き入れておきながら、もう夢は終わったのだと言う。本質的なジレンマ。それは「続編」であることに、制作者本人たちが一番迷っていた部分が、ストレートに滲んでしまった結果だと思います。
 ただ「10」世界共通のテーマとして、呪縛からの解放、夢の終わりがあるのなら、ティーダは否定されなきゃならない。ユウナは嫌でも変わらなきゃならない。
 ファンの反発を食らうわけだよなと思います。遊ぼうとしたソフトに、根源的に否定されているんですから。

 でもねえ。
 ユウナがティーダをさがすことを、そしてもう一度出会ったことを、私は否定したくないな。異界の深部でバハムートの祈り子がユウナに向ける問いには、「ティーダの復活は、ユウナが過去に『逃げる』こと」であると、制作者が思っているようなニュアンスが伺えます。「10」でのティーダの役割と思いを考えると、それも確かにひとつの真実なのかも知れない。
 それでも、私はユウナの思いに共感する。ティーダに、戻って来てと選択してしまう。だって生きてるってことは、それだけで価値があると思うから。生きられるなら、生きていて欲しいと思うから。

 『アルティマニア』のスタッフ座談会で、「あの年頃の女の子が、別れた男のことを何年もひきずるだろうか?」という発言を読んだ時、私は失礼ながら、ちょっと笑ってしまいました。作り手のみなさん、自分が男性であり、今回の主人公が若い女性であるということを、ヘンに意識しすぎ。そして、若い女性をみくびりすぎ。
 だってティーダとユウナは、普通に「付き合ってた男女が別れた」んじゃないでしょう。ほとんど死別に近い引き裂かれ方。それも彼は、彼女とその世界を「生かす」為に、目の前で消えて行ったのだから。ひきずらない訳がないって。長い時をかければまた別ですが、たった数年で吹っ切れるほど軽い「別れ方」ではないし、また「10」のユウナはそんな浅薄な女性としては描かれていなかった。
 普通にね……、ユウナがあの世界で何年もひきずっただろう思い。彼は消えて、私は残った。その事実の先に、ティーダとの再会をもとめている姿を、もうちょっと丁寧に描いて欲しかったなあと思います。先制猫パンチでファンをびっくらさせるだけじゃなくてさ。
 こうやって結局話は、「たまにはファンサービスしてよー」ってところに行き着いてしまうんですけどね。ううーん。

 でもゲームとしては、すごく面白かったですよ。ギャルゲーっぽいという意見も多かったようですが、それは個人的には全然気になんなかったなあ。ドレスフィアとかもね、あそこまで行っちゃうともう、こっちはただもう感心するだけです。リュックの着替えは割と素肌見えがちな感じで、ちょっとびっくりどっきり。しかしみんな細いなー。
 1周目で100%を狙ったと書きましたが、序盤でどっか取りこぼして(どこで落としたのか、未だにわからない……)、結局2周してしまいました。ベベル地下は80階までたどりついた所で挫折。全ジョブマスターしたのに、あいつに勝てません。『アルティマニア』見ても勝てません。へタレゲーマーですね。そういや私、FFインターナショナル版定番の、追加超ボスとかって、ことごとく放置してきたんだよなー。ゲームスキルが磨かれない訳です。
 新キャラはどれも甲乙つけがたく、でも正直、「結局のところ、君らが一番トラブルメーカーなんじゃ……」という気も多少していたり。というか、こちら関連の情報の半分ぐらいがアカギスフィアに入っちゃってるので、フツーにプレイすると、正直カヤの外感が強いんですよね。しかも結構苦労して暴いた真実が、またしても寺院の悪事というのも……ううーん? とりあえず、トレマさえいなければ、「10-2」のごたごたの大半は発生しなかったんですね? なんてこった。あんなダンジョンの奥底じゃなくて、ぜひとも本筋の中でぶち倒してやりたかった人物ですね。つーか、倒させてくれすっきりしないぞー。


つれづれゲームレビュー / ラジカル・ドリーマーズの小部屋